バルトークの話

バルトークの話、略して、バルトーク。

 

大人気作品、ルーマニア民族舞曲のようなわかりやすい音楽を書く一方で、苦虫を噛み潰したような、本気度合いが過ぎる曲や、それが音楽であることを忘れてしまうかのような「夜の音」そのものを書いたひと。このひとの音楽には不思議な魅力があります。ミクロコスモスの冒頭の音階練習ですら、たまに引っ張り出して鳴らしてみたくなるのです。

 

不思議といえば、こちらもたまに参照したくなる不思議な楽譜、平均律 のバルトーク版。

名ピアニストでもあったバルトーク、残された録音はごくわすかですが、彼の弾くスカルラッティがそれはそれは素晴らしい演奏で…

 

バッハにもフレージングのヒントはないかしらんと見るんだけど、いつもそれ以上のものが返ってきます。

 

ガチガチの分析系かと思いきや、全然違いまして、あくまでも音楽第一!バッハへの愛情と学習者への思いがひしひしと伝わる楽譜です。

 

この平均律の楽譜や、ミクロコスモス、子供のために、といった作品からもわかるように。バルトークが教育熱心であったことは間違いなさそうです。

 

子供がどんなに達者に弾こうとも、そこに子供らしさが見えないのでは意味がない!というバルトークのスタンスは、子供達には純粋にピアノが好きで、音楽が好きで、音楽に感動できる人であってほしいという、あ、僕の教室の紹介文と同じですね(笑)

 

かと思えば、バルトークのレッスンを受けていたリリー・クラウスによると、レッスン中のバルトークはきわめて寡黙であり、クラウスが演奏を終えても何も話さず、瞑想するかのごとく、ただただ時間だけが過ぎてゆくのだそう。長い沈黙の後、バルトークはおもむろに、貴女はモーツァルトのことを考えましたか?と問うてレッスンは終わるというのです。

 

僕自身、学生の頃からいわゆる熱血教師というものには嘘臭さを感じていましたし、今も自己を確立した生徒の演奏にとやかく口出しはしないようにしています。が、流石に終始無言ということは、いくらなんでもありますまい。

 

このエピソードをどこで読んだのか思い出せないのですが、その時は、ピアノのレッスンとはこういうものなのかと訳もわからず感銘を受けたものです。

 

そうそう、ワルシャワ音大の室内楽の授業で、ポーランド人作曲家の長大なピアノトリオを弾き終えた時のこと、演奏は比較的うまくいきました。最後に消え入るピアニシモ、永遠に続くかのような沈黙… 事実、何分経っても教授は沈黙のままでした。ああ、ついに俺もこの境地、バルトーク=クラウスの境地に達したのか、と悦に入っておりましたら、グガッ!というご自分のイビキで教授はお目覚めになられました。

 

現実は、そんなもんだよな。

 

 

音楽を、自分の持てるものの水準に引き下げることはできません。持てるものを、音楽の水準にひきあげなくてはならないのです。 リリー・クラウス