アンジェイ・ステファンスキというポーランド人ピアニストのレッスンを通訳していた時です。
ステファンスキは楽譜のある一節をさして
「よーく見て、音楽を見つけましょう」
と言いました。
「ここは重要な対旋律だからいい加減に弾いてはいけません!」
などとは決して言いませんでした。
音楽が好きでたまらない、そんな人の言葉だよなあ…と通訳することも忘れて感心してしまいました。
アンドレ・ジッドのエッセイ《ショパンにまつわる覚書》の中に
「演奏とは発見していく散歩である」
とあります。
ほとんどのクラシック音楽が書かれたものを演奏する再現芸術である以上、
奏者が自発的でい続けることはなかなか難しいのかもしれません。
事実ピアノの演奏というのは難しいものです。
音数が多いですし、両手で違うことをするのですから(笑)
でも、音楽を生かすも殺すも演奏次第。
そうなったらもう受け身ではいられません。
ぼくはこのステファンスキやジッドの言葉に触れてからというもの、
いわゆる「嫌いな曲」というのがなくなりました。
それは、好き曲だけを演奏して生きてゆけたのなら理想です。
しかし、現実はどうだ!?
正直なところ、僕などは日中譜読みマシンと化しています。
毎週のように届く楽譜の束に目を通し、それらをなんとしてでも本番に間に合わせなくてはいけません。
好き嫌いを言っている場合ではない。それが現実です。
でも、気づいたわけです。
今まで好きではないと思っていた曲、
それは単に僕がその曲の中に音楽を発見できていなかっただけだと…
単なる音の並びが音楽に変わる瞬間、それを見つける喜び。
それすなわち演奏の喜びといえましょう。