聴く?聴かない?「参考音源」とはなんぞ

 

作品を勉強する際に、参考に音源を聴くのはどうかという問題、僕は、たくさん聴いたらいいんでないの?と思いますよ。なんなら、たくさん聴いて、たくさん真似してみたらどうよ?とすら思います。

 

ショパンを勉強するのにホロヴィッツやフランソワの演奏が好きで聴いていたとして、あんなのは癖が強すぎるから聴いてはいけません!などと誰が言えましょうか。

 

ホロヴィッツの真似っこをして本物そっくりに魅力的な響きを作り出したらば、強弱が楽譜と違うから直しなさい!なんてのは不粋極まりない、芸はパクってなんぼよ。

 

そんなことで壊れるような軟弱な個性はありませんし、楽譜の読みは浅くなるどころか、あらゆる可能性を探るべく目を凝らすようになるでしょう。

 

ただ、気をつけるべきは、鑑賞することと演奏することは違うんだ、と意識することでしょうね。

 

 

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音楽を聴くとき、僕たちは魔法にかかっています。煌びやかなパッセージ、魅惑的なハーモニー、それらはめくるめく幻想であり、圧倒的興奮であり、夢見心地であります。

 

作曲家は魔法を考案する。

演奏者は魔法を使う。

聴衆は魔法にかかる。

 

憧れの曲や新しく出会った曲を弾きたい!と思っている時、人は魔法にかかった状態にある。魅惑的な夢の世界が実際どのようにして作られているのか、まだわからないのですからね。

 

残酷な話ですがね、現実はオタマジャクシの大群ですよ。

 

鑑賞する側から演奏する側にまわった時、僕らが見なくてはいけないのは、夢の世界ではなく、現実。常に目の前にある現実。黒いつぶつぶ。

 

じゃあ楽譜を開くのは夢をぶち壊す行為だ!と言われてしまえばそれまでですが、初めて聴いた時の感動、衝撃、興奮、まさに魔法のような体験、その正体がわかった時、そこにロマンを感じるかどうか、なのかな。ピアノが面白い!って思えるかどうかは。

 

 

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冒頭の話に戻りますが、参考音源とはなんぞ。

 

参考だなんていかにも不遜な。そこには偉大な魔法使い達が残した素晴らしい芸術があるだけではありませんか。

 

おおいに聴いて、楽しもうではありませんか。