「モーツァルト」を弾きたい

 

モーツァルトは、難しい。

 

僕自身「モーツァルト好き」を自称しながらもなかなかプログラムに載せられません。難しい、まったくもってそう思います。

 

音数の少なさゆえ誤魔化しがきかないというのは、なにもモーツァルトに限ったことではありません。モーツァルトならではの難しさがあるように思えてならないのです。

 

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作曲する時、その作品を、即座に、同時に、一瞬のうちに自分が聴いているような状態に至るのだ、という逸話(G.ネイガウスはこれは主語がモーツァルトだからこそ成り立つ「実話」だという)は大変に興味深いものです。

 

単純な音階が、あるべき所に配置された途端に途方もなく美しい音楽となる不思議、K.545の有名なソナタを引用するまでもなく、このことこそ、作品全体を通しての優れたバランス感覚こそがモーツァルトの音楽を美しく、またその演奏を難しくしていると今の私は思うわけです。

 

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モーツァルトを演奏するにあたり、私自身の経験から、1曲を一直線上にイメージすることはとても有益でした。作品全体を俯瞰するためにです。実際に設計図のようなものを書き出してみるとよくわかります。

 

また、全体に対しての細部、細部への気配りは、個々の音、一音一音、その全ての鳴り始めと鳴り終わり(特に各音の終わりへの意識は疎かになりがち)を意識することから始まると私は考えます。

 

他にも、

スラーを厳守する、

破天荒な強弱記号の意味、

古楽器で弾いてみる、

とにかく元気いっぱいに弾く、

演奏中にウンコを漏らす、

 

等々試行錯誤してまいりました。

 

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ここで思い出すのは、

 

モーツァルトは子供が弾くものだ!

 

という、試験でモーツァルトを弾きたがる私に、ヘッセ・ブコフスカ女史がしきりに言っていた言葉です。

 

モーツァルト好きな私はその度に「はぁ?」と、いけ好かない思いでしたが、今はこの発言にもあまり抵抗を感じなくなってきました。

 

子供たちが無邪気に弾くモーツァルトはなんと魅力的なことか。それに比べて、いい大人が、心を込めて、弾くモーツァルトの違和感たるや。

 

そもそも音楽のすべてを明らかにしようなどということは馬鹿げています。なぜモーツァルトのソナタに出てくる単純な音階に感動するのか、結局のところ説明などできません。

 

そこにあるから美しいんだ、としか言えません。